日本探訪HOME > つれづれ散歩 >浅草
                                                            

 浅 草


 浅草は曖昧模糊、複雑怪奇と称したのは小沢昭一です。
 それはまず、ご神体の曖昧さに示されています。
 浅草は間違いなく門前町ですが、そのご神体がどうもすっきりし
ないのです。
 簡単に言いますと、それは神社としての浅草神社と、寺院として
の浅草寺(せんそうじ)の二つが並立しています。
 浅草神社とは、元来の名は三社権現、通称三社さま。徳川家光の
造営によるという格式の高さと、東京でも最大を誇る三社祭りの賑
わいに比較して、三社権現の真の姿はさっぱり明らかにされていま
せん。伝承では浅草観音を川から拾い上げた三人を祭るというので
すが、それでは観音様がご神体となってしまい、浅草寺と同じにな
ってしまいます。
 ところが、そういう細かい所を気にしないのが江戸っ子の良さ、
神社も寺も共に繁栄しており、このごろはブラジルのサンバまで登
場して元気にやっています。
 雷門というのもあまり深く考えないほうがよい存在で、本来は右
の風神、左の雷神と一対で成り立つものを省略してしまったもの。
                                 (下に続く)

  こういう浅草ですが、遊びに関しては昔から東京の先駆者でした。
  江戸の芝居で有名なのは猿若町ですが、これは浅草寺の東の大川
 に近い一画。 こことその奥の吉原が江戸時代の歓楽街の双璧でし
 た。
  また、明治に入ってからも、明治九年に早くも象の見せ物が出現
 するなど、庶民の憩いの地として新しい東京の中心となっていまし
 た。
  明治十七年には浅草公園が完成。
  昭和二年には日本発の地下鉄が浅草と上野間に開通。


  雷門から浅草寺にいたる参道の両側が有名な仲見世で、浅草餅、
 人形焼き、紅梅焼きなど、江戸時代から続く創業百年以上の「しに
 せ」が並んでいます。


  浅草はまた、多くの文人、文士に愛された街でもあります。


  "浅草の夜のにぎはいにまぎれ入り 
            まぎれ出で来しさびしき心"--石川啄木


  "観音の市近づけり都鳥"--久保田万太郎


  "浅草や夜長の町の古着店"--永井荷風


 などなど--------。
日本探訪HOME > つれづれ散歩 >浅草