「ティータイム」 3 ブンガワン・ソロ
戦争中に激戦が展開された多くの地域も、やがては忘れ去られ、
今ではその場所を指摘できない人も多くなってきています。
ガダルカナル、ラバウル、トラック島などなど。
一方、このフィリピン沖海戦に出てくる土地は、不思議に現在も
日本とは深い関係を持っています。
リンガ湾基地で触れられたスマトラ島は、今でも油田があり、さ
らに日本との共同で天然ガス開発が進められています。
その天然ガスではブルネイが早い時期から日本の重要供給源の一
つであり、国家間の関係も緊密です。
フィリピンはだれでも知っているバナナの産地であり、歌好き、
踊り好きのフィリピン人芸能人が数多く来日しています。
その中で忘れてはならないのが、戦時中に日本軍の間で広く歌わ
れ、陣中慰問に訪れた日本人歌手によって内地にも普及したインド
ネシアの名曲、ブンガワン・ソロです。
これは、当初、インドネシア民謡として紹介されましたが、事実
はグサン(またはゲサン)という歌手が自ら一九四〇年に作詞・作
曲したもので、氏は一九八〇年には来日してその素晴らしい歌を披
露しています。 (下に続く)
ブンガワンは川の意味。ソロはその川の名です。したがってこれ
はソロ川の流れに託して、悠々たるインドネシアの情景と歴史を歌
った国民的名歌ですが、なぜか日本にも愛好者が多いようです。
比較的原文に忠実といわれる津川氏の訳文を若干修正して、ご紹
介しましょう。
ブンガワン・ソロ その遠き流れ
いわれを秘めて 今日も流れる
枯れどきは 水失せるとも
雨期は豊かに 満ちてあふれる
緑の山々 囲まれたみなもと
流れは果てて 海にそそぐ
過ぎし日々 語るがごとく
生業(なりわい)の舟 今日も漕ぎゆく
これが日本軍の兵士たちによって歌われた同じころ、ヨーロッパ
戦線ではあのリリー・マルレーンが、ドイツ軍と連合国軍の両方の
兵士たちによって歌われていました。
(下に続く)
軍歌とは違った意味の戦場の歌です。
古くから戦場ではこの二種類の歌が歌われていました。
日本でも、古事記・日本書紀にはその記録が残されております。
雅楽で有名な久米歌は戦意高揚の軍歌ですし、ヤマトタケル伝説
に出てくる歌の多くは癒しの戦場歌です。
みつみつし久米の子らが 石椎もち 撃ちてし止まむ
(久米歌より)
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山籠れる
倭しうるわし
(倭建命篇)
ブンガワン・ソロが日本人に愛されたのは、その旋律に日本的な
詩情があることが一番の理由でしょうが、さらには、インドネシア
語の発音が日本語と似ていることにもよるようです。
飯はナシ(nasi) 魚はイカン(ikan)
菓子はクエ(kue) 人はオラン(orang)
死ぬのはマテー(mati) 兄貴はアカン(akang)
ご参考にブンガワン・ソロの音楽が聴けるインドネシアのサイトを
下にご紹介しておきます。
インドネシアのサイト
ティータイム目次に戻る
トップページに戻る